
株式会社ピコトンのスタッフに、仕事のやりがいや想いを聞く企画「ピコトンインタビュー」。今回登場するのは、創業3年目の2010年から会社を支える取締役・企画担当の田中大さんです。
田中さんはこれまで取締役として会社を運営するだけでなく、クライアントと一緒に1からつくりあげる「オリジナルイベント企画」などを多数制作してきました。ピコトンに入社した経緯や子供向けのイベント企画を開催する意義などを伺いました。(2024年1月取材:ピコトン広報部 水谷すみ)
創業3年目のピコトンへ思い切って合流
―株式会社ピコトンに入社した経緯を教えてください。
私は他の取締役と違って、創業3年目に合流しています。
内木代表とは前々職のリクルート『カースマイル』制作時代の同僚でした。『カーセンサー』の姉妹誌として2005年に創刊。当時の原油高でクルマが売れない時代だったこともあり、惜しくも2007年で休刊となりましたが、とても恵まれたチームで立ち上げから撤収までお仕事させていただきました。
休刊でチームが解散になるときに内木代表から起業の話を聞いて「なんて無謀な挑戦をするんだろう!」とビックリしたのを今でも覚えています。

当時はせめて外からアシストしようと、前職の仕事を発注したり、休日にはイベントの手伝いを行っていました。2008年に設立したNPO法人クリエイティブスマイルの副理事長も担当し、ピコトンとの共同プロジェクトを行いましたが、思うようにサポートできなかったので創業3年目の2010年に思い切ってピコトンへの合流を決意しました。
大阪芸術大学に進学。「芸術でメシが食えるか!?」
―子供の頃や学生時代はどのように過ごしていましたか?
出身は新潟の温泉と田んぼしかないような片田舎です。
幼少期は喘息で身体が弱く、読書とゲームばかりしているような子供でした。勉強嫌いだったので成績は壊滅的でしたが、国語だけは人並み以上だったので国語を鍛えられる大学を探して大阪芸術大学文芸学科に進学しました。

一般的には文学部を目指すのが普通だと思いますが、当時から自分が凡才であることは理解していたので「差別化しないと生き残れない」という感覚があり、芸術学部という異端児ばかりが集まる中で常識人寄りの異端というポジションを取りに行くことにしました。
この選択が正しかったかはわかりませんが「世の中にはいろんな(変な)人がいるし、いた方が面白い」という気づきは得難い経験でした。
大学では文章表現を中心に学び、SF小説家の眉村卓先生に師事していました。
残念ながら小説の才能はなかったのですが、当時学んだ文章技術は、広告文章やワークショップのシナリオの作成など、その後の人生に大いに役に立っています。
当時の学生募集ポスターが「芸術でメシが食えるか!?」だったのですが、意外と潰しが効いたなあと後から感心したものです。

就職活動では2つの進路で悩みました。
1つは教師。父が中学の数学教師だったため、幼いころから教育は身近なものでした。しかし、若気の至りというか父への反発もあり、教育実習の直前に諦めてしまいました。これは早計だったと今でも後悔しています。
もう1つが出版。本が好きだったので、作る側に回りたいと常々思っていました。とはいえ、当時は超氷河期とまで呼ばれた時代。とてもではありませんが、人気職で倍率が数百倍ともいわれる出版社に正社員で就職できる能力はありませんでした。
芸術大学の就職課に八百屋や魚屋のような自分とは別分野の求人票ばかりが貼られる中で「アルバイトでいいから出版業界に潜り込もう」と決意し、リクルート『カーセンサー関西版』の制作として採用していただきました。実はあとから知ったのですが、雑誌リニューアルの繁忙期用の短期バイト採用のつもりだったようで、本来なら3ヶ月ほどで契約を切られる予定だったのですが、我武者羅な働きを認めていただき、バイトからステップアップさせていただきました。
「もしここをクビになったら、働く場所がない」と真剣に思っていたので、当時は死に物狂いでしたね。


ピコトンの活動を通して「失敗は必要な経験」と伝えたい
―ピコトンの活動を通じて取り組みたい、解決したい社会的問題はなんですか?
ピコトンの理念とは少しずれますが、個人の課題は「日本を良くしたい」に尽きます。
私が生きた40年ばかりで、世界は想像を絶するほど複雑になりました。
テクノロジーも社会問題も国際問題も複雑さを増すばかりです。本来は「読み書き能力」を指していた「リテラシー」に、今やどれほどの意味が込められるのか。考えただけでゾッとします。
しかし、それでも私たちはこの世の中を生きていかなければいけません。
フェイクニュースで溢れる情報の海の中から、自分が正しいと思えるものをなんとか選び取らなければなりません。そんなときの羅針盤になれるのは、やっぱり「教育」なんだと思います。

よく言われる言葉ですが、子育てに正解はありません。
しかし、不正解はあります。
子供の人生を先回りして、障害を排除してはいけません。
命に係わる危険から守るのが大人の役目ですが、それ以上の整地は子供の生きる力を削ぐだけです。失敗を当たり前にしなければなりません。自分で考え、失敗から学べる人間を育てることが、これから先の予測できない未来で生き残る唯一の方法だと私は考えます。
過度な学歴社会も、親の「子供に失敗してほしくない」という願いの現れですが、必ずしも子供の幸福につながっているとはいえません。
ピコトンの役割は子供たちの中に可能性の種を撒き続けると同時に、子供を囲む大人たちに向かって「失敗は必要な経験だ」と訴え続けることだと考えています。

実はピコトンの体験型コンテンツは、一発で上手くいくような設計はほとんどありません。小さな失敗を重ねながら、工夫して初めて納得できる答えにたどり着くような、失敗を失敗と感じないような設計をしています。
作りたい、楽しみたいという子供たちの意欲を育てるのと同時に、失敗の練習をさせるのがピコトンの社会的な意義だと考えています。
だからこそ、ピコトンでは工作などのモノづくり体験を大切にしています。モノを作るときに、一度でうまくいくことはありません。必ず「ずれちゃった」「なんか違うな」という小さな失敗を重ねながら、試行錯誤して完成を目指します。この小さな失敗と、完成という小さな成功体験を当たり前に繰り返すことが重要なのです。
失敗に負けずに前に進める子が、これからの社会を変えていくと信じています。
「楽しい」ものは子供たちの主体性を引き出す
―ピコトンの企画に込めた想いを教えてください
企画の大前提は、子供にとって「楽しいこと」です。
ピコトンの仕事は子供に伝えることなので、そのために楽しさは最重要です。楽しいものは子供たちの主体性を引き出し、能動的な活動の原動力になります。
米Tuskegee Universityの研究では、能動的学習は受動的学習に比べ21%の有意差があるとの実験結果も出ています。
https://www.scirp.org/journal/paperinformation?paperid=91078&form=MG0AV3
しかし、子供が何を楽しいと感じるかの予測はとても難易度の高い技術です。
ピコトンではイベント現場経験を重視しています。リアルに子供と触れ合い、何にどんな反応をするのかを何千人も見たことで、ようやく高い解像度で子供の反応を予測できるようになりました。

私自身にも息子と娘がいますが、子育ては苦労の連続です。特に、宿題や習い事など、「楽しくない」と思っていることをやらせる労力といったら並大抵ではありません。そのくせ「楽しそう」と思ったことには、目の色を変えてやる気を出すので現金なものです。
ピコトンの商品特性上、子供たちの身近に長期間あるものではなく、イベントなどの短期的な関わりが多くなってしまいます。その一瞬に、いかに子供たちの中に眠る「やる気」を引き出すかが勝負ですね。
その上でクライアントの求める「伝えたいこと」と、保護者が求める「成長してほしいこと」を高次元で組み合わせるのが企画の役割だと考えます。楽しいこと、伝えたいこと、成長してほしいこと。子供向けの企画はどれか1つだけでなく、この3つがすべて重要です。

厳密には、さらに「安全性」や「社会的な意義」「クライアントの利益」「自社の利益」「継続性」「独自性」「保護者からの見え方」「ブランディング」「運営のしやすさ」「コスト」「実現性」等々が絡んでくるので、実際にはいつも悲鳴を上げながら脳をフル回転させています。
とても、やりがいのある仕事です。

実は、私は自分の仕事の半分くらいは「翻訳家」だと思っています。
SDGsやサステナブルなど、大人でもわからない人が多いような難解な概念をかみ砕いて、子供に向けた「言葉」と「体験」に変換。企業の理論と子供の理論、そして親の理論の三方を理解し、つなぐような伝え方を考えていく。
そんな翻訳作業もまた企画の重要な仕事です。
「子供たちに窓を好きになってほしいです!」や「3才の子にプログラミングを伝えたいです!」など、クライアントからの様々な依頼に応え続けてきましたが、こうした経験があるからこそ、今のお客様に評価していただけるノウハウが身についたんだと思います。
これまで手がけた企画の一例
―これまで手がけた企画について教えてください
千葉市科学館-プラスサイエンス
これまでにたくさんの案件を形にしてきましたが、自分にとってこの仕事の原体験となったのは、2011年の千葉市科学館さんの『プラスサイエンス』です。

千葉市科学館ではエントランスフロア+テーマ別の3フロアにたくさんの科学展示が所狭しと展示され、一日楽しめる学びスポットです。しかし、広いが故にすべてのフロアを周らずに帰ってしまうという課題がありました。
本来、科学技術はテーマごとに分断されるものではなく、複雑に絡み合いながら発展してきました。そして複数の科学を組み合わせることで今後も発展していくことでしょう。
子供たちには分野を横断して科学の可能性を知ってほしい、そんな千葉市科学館の担当さんの熱い想いからスタートした企画でした。

しかし、当時は子供向けのイベントの経験はあっても、コンテンツ開発の経験が浅く、何度もダメ出しをいただいてしまいました。私の企画の至らない部分を根気よく説明してくださった担当さんには今でも深く感謝しています(勝手に師匠と呼んでいます)。

最終的に企画開始時の技術も知識も超えた品質のコンテンツを納品でき、そこから約10年に渡って(デバイスの限界まで)運用していただきました。ボランティアスタッフさんでも簡単に運営できて、子供とのコミュニケーションが取れる体験型学習として長い間、たくさんの人に愛していただけたと自負しています。
何度も体験して「(自分なりに)ミッション考えてきた!」と手紙を持ってきてくれた子がいたのは嬉しかったですね。

子供向けイベントでは、子供と主催者だけでなく、保護者や運営スタッフなどイベントに関わる全員を笑顔にすることが企画の役目だと、そのときに胸に刻みました。
この経験が私の企画職の原点となっています。
ヤマハ発動機株式会社-YAMAHAキッズラボ
最近のお仕事で特に印象に残っているのはヤマハ発動機株式会社さんの『YAMAHAキッズラボ』です。
バイクで有名なヤマハ発動機さんですが、私も数年前までヤマハのTW200に乗っていましたので自然と熱が入ってしまいました。

案件としても面白くて「将来の就職を見据えて地元の子供たちにヤマハ発動機を好きになってほしい」という変わった相談でした。
地域の小学生を招いて行う体験授業として、ヤマハ発動機の「お仕事体験」という位置づけで企画しました。そのため「やあ、キミたちがヤマハ発動機の新入社員だね。おや? ずいぶん若いなあ」という導入から始まります。
ピコトンの運営スタッフにも、子供たちにとって憧れのヤマハ発動機の社員としての振る舞いを徹底し、「将来はこんな楽しい仕事に就きたい」と思ってもらうための仕掛けを随所にちりばめました。

運営のクオリティ担保と運営負荷の軽減も考えて解説の一部に動画を組み込んだり、あえて子供たちが失敗するように仕組むことで笑いと挑戦意欲を高めるような仕掛けを入れるなど、今までの経験の集大成になったと自負しています。
私も毎年現場に立っていますが、ヤマハ発動機の担当さんにも「ピコトンさんのイベントは本当に明るくて良いね」とお褒めの言葉をいただき、実際に笑顔の多い素敵な体験を提供できていると感じています。

ただ、一方でひとつだけ失敗したのはプログラミングで使用するWindowsの更新頻度の高さです。数台なら問題なかったのですが、1クラス分の更新となると意外と大変というのは見立てが甘かったですね。
当初は公募で20名参加、2人に1台の設計での想定だったところ、1クラス丸ごとで1人1台の豪華仕様に増えてしまったので、仕方ないといえば仕方ないのですが。
企画から設営、運営、メンテナンスまでトータルでお任せいただいていますが、この更新作業は自戒として私が担当しています。
この失敗は次に活かさないといけませんね。とほほ。
夢をもって挑戦できる「希望あふれる社会」
―今後のピコトンの展望について教えてください
前述の通り、今後社会はますます複雑性を増していきます。
さらにAIの発展に伴い、多くの技術は急速に発達し、そのほとんどが多くの人にとってはブラックボックス化することでしょう。
つまり「AIに任せたらなんかできた」という状態ですね。
「よくわからないけどAIに任せておけばいい」という社会は、便利さとのトレードオフで人間の知的価値を奪い、自己肯定感の低下を呼び起こすと予想されます。
こうした社会では「〇〇できる」という能力的価値よりも「〇〇したい」という意欲が大切になってきます。
ピコトンは、未来の社会を「人間がAIより活躍できない世界」ではなく「AIが自分のやりたいことを手伝ってくれる世界」と認識し、子供たちに夢をもって挑戦できる「希望あふれる社会」だと伝えていく必要があると考えています。
そのためにも、目の前のことを楽しんでいく意欲とともに、失敗に躓きながら先に進む胆力が必要です。
「楽しむ力」と「負けない力」とでもいえばいいでしょうか。この2つを育む要素は、これからも変わらずにピコトンの企画には盛り込んでいくつもりです。
あわせて「プログラミング的思考」や「SDGs」のような社会が子供たちに求める資質は時代とともに変化していきます。
しかし、どんなに難しいテーマも本質的には「この子たちが生きる未来の社会で幸せであってほしい」という大人たちの願いです。きちんと子供たちに伝えていけるように、私自身が柔軟に学び続ける姿勢を忘れないようにしなければいけませんね。
時代の変化に対応しながらも、子供たち一人ひとりの中に人生の指針となる揺るがないものを育てていけるような仕事をしていきたいと願っています。

ピコトンでは子供たちの未来をつくるイベント企画を提供します

田中さん、ありがとうございました。
ピコトンは2007年の創業から今年で18期目になります。
これからもたくさんの子供たちの挑戦を応援し、未来を育むイベント企画を提供していきます!
子供向けイベントのご相談は、「お問合せフォーム」よりお気軽にご連絡ください◎
