
株式会社ピコトンのスタッフに、仕事のやりがいや想いを聞く企画「ピコトンインタビュー」。
株式会社ピコトンが19年目を迎えたこのタイミングで、代表取締役の内木広宣さんにインタビューを行いました。
創業のきっかけやこれまでの苦労、転機になった出来事、そして今後の展望まで、たっぷりとお話を伺いました。(2025年5月取材:ピコトン広報部 水谷すみ)
大学のゼミから始まった「子どもに体験を届ける仕事」
――創業のきっかけを教えてください。
ピコトンは2007年に創業しました。もともとは、東京工芸大学のコミュニケーションデザインのゼミで取り組んでいた「オバケーション」というワークショップコンテンツを広めたいという思いから始まったんです。

私は大学卒業後に一度就職して、3年ほど働いたのちに退職。大学の同級生だった笠原君と一緒に、「オバケーション」や「シャッフルぬりえ」など、子ども向けの体験型コンテンツを軸に、株式会社ピコトンを立ち上げました。
創業から今日まで、振り返ると本当に色々なことがありました。嬉しかったことも、大変だったことも。とくに幼少期の経験は今の事業内容に大きく影響しているなと感じています。
子ども時代の原体験から「誰もが参加できる体験づくり」へ
――どんな子ども時代を過ごされたんですか?
生まれは横浜で、小学5年生まで横浜に住み、その後、藤沢へ引っ越しました。ちょうど、みなとみらいの開発が進んでいる最中で、その様子を間近で見ていたのを覚えています。


小さい頃は自転車でどこへでも行ってしまうような子でした。藤沢に引っ越したのは、母が車椅子を使うようになったためで、横浜のような坂の多い環境から、もう少し過ごしやすい家と地域に住む事を父が考えての事でした。
私が小学2〜3年生のころから母は車椅子でしたが、それが特別なこととは思っていませんでした。むしろ、車椅子の人が家族にいるのが当たり前だったんです。母は歩く以外のことは自分で何でもできましたし、「介護をした」という記憶もありません。
ただ、母の車椅子を押すのも当たり前だったので、車椅子にとって小さな段差ひとつが生活に影響するということを自然と理解していました。今では当たり前となった「バリアフリー」という言葉が一般化する前から、身近にそうした課題はありました。
今になって思うのは、障害の“見える/見えない”ってすごく大きいなと。車椅子や視覚障害は分かりやすいけれど、例えば、子どもが虐げられている、学校に行けていないといったことは、外からでは見えづらいですよね。だからこそ変わりにくいし、ケアもされにくい。
でも、そうした“見えない差”にも向き合って、認めてあげる。子どもに“横並び”で成長を求めるのではなく、それぞれの個性をそのまま受け止める。そうした考えが、今の事業に深く結びついていると感じます。
大学のゼミから生まれた「オバケーション」という実験
──ピコトン創業のきっかけにもなった「オバケーション」について、詳しく教えてください。
東京工芸大学の芸術学部デザイン学科に入学して、3年生から「コミュニケーションデザイン研究室」に所属しました。ここで、今も一緒に会社をやっている笠原君と出会いました。

指導してくださったのは笠尾先生で、実践的な内容が多いゼミでした。当時は「これ、何の意味があるんだろう?」と思いながらやっていたことも、今になって「こういう意図だったんだな」と腑に落ちることが多いです。
「オバケーション」は、もともと研究室の先輩たちが行っていたプロジェクトで、それを僕たちが引き継ぐ形ではじまりました。キャラクターを通して人と人とのコミュニケーションを生み出す、というコンセプトでした。

例えば、子どもの描いた絵をキャラクターにデザインしてシールにして、それを別の子どもに渡して物語を作ってもらったり。日本の子と海外の子で「オバケ」の絵を描いてもらうと、文化の違いがはっきり表れるんです。街の描き方、ゴミ箱の色、人の姿勢……どれをとっても、生活の違いが現れる。それ自体が“デザインを通じたコミュニケーション”になっていました。

当時はインターネットが今ほど普及していない時代でしたが、子どもたちから毎月100件以上のオバケのアイデアが集まっていました。日本中の数万人の子どもが毎月自分たちが作ったコンテンツを見て楽しんでいる様子を見て、とても可能性を感じました。
社会人になっても続けた「オバケーション」への情熱
──大学卒業後も「オバケーション」に関わっていたんですね。
はい。一度は企業に就職したんですが、毎月研究室に通ってイベントを手伝ったり、家に帰ってからデザインをしたり。3年間くらいは社会人と学生プロジェクトの二足のわらじ状態でした。

就職したのは、車や住宅の雑誌をつくる会社でした。就活時はまだ会社をつくるなんて思っていなかったので、玩具やデザイン系の会社を10社以上受けましたが、落ち続けて。やっと受かったのがその雑誌制作の会社だったんです。
配属先では雑誌編集や校正、レイアウトなど全く未知の業務に携わることができて、すごく楽しかったです。働きながら、世の中の“ものづくり”にはこういう形もあるんだと学んでいました。


「カースマイル」で得たディレクションと企画力
──その後、『CarSmile(カースマイル)(※1)』という雑誌にも関わったそうですね。
『カースマイル』は、自動車の新車と中古車を比較するフリーペーパーです。新規立ち上げの部署にヘルプで入ったのがきっかけですが、ルールも何もないところから雑誌をつくる経験は本当に刺激的でしたし、とても勉強になりまいした。

ここで、ピコトンで取締役をしている田中さんとも出会いました。とにかく手探りで、取材・撮影・編集・企画すべてやる感じでしたね。取材先で「この車は広い収納が魅力なんです」と言われたら、大きなシャチのバルーンを出し入れする瞬間を撮影してみる、のように試行錯誤してやっていました。
他にも面白いなと思ったのは、雑誌に「洗車無料券」と「500円分洗車割引券」を付けてみたら、なぜか500円割引券の方が人気だったり。「無料」は何か怖いと思って避けられてしまうのでしょうね。ユーザーの行動心理の基礎もここで学んだ実感があります。

ナレッジ共有の社内コンテストも定期的にあって、知見を持ち寄りながら改善していくのが面白かったです。私も試行錯誤が認められ表彰された時はとても嬉しかったです。
(※1)『CarSmile(カースマイル)』……株式会社リクルートが2005年7月から2007年3月まで、首都圏を中心に発行していた無料のクルマ情報誌。新車と中古車を比較検討できる点が特徴で、当時の消費者意識の変化を受けて誕生したフリーペーパーだった。
撤退と、ピコトンの創業へ
──順調だったように見える『カースマイル』も、撤退されたんですね。
そうなんです。原油価格の高騰や景気の影響もあって、思うように売上が出ず撤退になりました。とても残念でしたが、企業活動の厳しさを実感しました。
ただ、その会社は「独立を応援する社風」があったんです。上司や同僚からも「やりたいことがあるならチャレンジしてみたら?」と言ってもらえた。そのタイミングで退職を決意し、「オバケーション」を本格的に事業にしていこうと、ピコトンを立ち上げることになりました。
──起業に踏み切った一番のキッカケは、何だったのでしょうか?
一番大きかったのは、やっぱり「オバケーション」の存在ですね。自分の中でその活動の優先順位がすごく高かったんです。他の部署に異動して新しい仕事に取り組むという選択肢もありましたが、それよりもオバケーションに本気で挑戦してみたかった。
当時は25〜26歳で、「挑戦するなら早い方がいい」という感覚もありました。失敗しても、まだ取り返せる年齢だろうと。そう思って、一歩踏み出したんです。
子ども向けコンテンツにこだわった理由
──子ども向けにこだわったのには、どんな理由があったのでしょうか?
「オバケーション」に取り組んでいた頃から、子どもの想像力を社会的に「価値あるもの」にしたいという想いがありました。
子どもと関わると、自分ひとりでは到底思いつかないような突飛なアイデアが飛び出してくるんです。たとえば「オバケーション」で、お肉屋さんのキャラクターを作ることがありました。そこで子どもが考えたキャラクターが「手羽先のアイドル」でした。なんてユニークな発想をするんだろうと思いましたし、それをお店の人に見せたらすごく喜んでくれました。

でも、そういった子どもの発想って、大人になる過程でどんどん潰されていく。それがもったいないなと思ったんです。私自身も、美術の成績は5でも他が2だと先生に心配されるような経験がありました。子どもの創造性が「評価されにくい」ことのもどかしさを、身をもって感じていました。
「クリエイティブな力」は、誰にでも備わっているものです。でも、「これをやってはいけない」「こうしなさい」といった制限が、子どもの創造力をどんどん潰していってしまう。本来、クリエイティブって“広げるもの”ではなく、“潰さないこと”が大切なんじゃないかと感じるようになりました。

大学時代の「オバケーション」や、卒業制作の「デカマップ」など、子どもと一緒に何かを作るという経験の中で、ますますその思いは強くなっていきました。子どもの想像力が、もっと社会的に「価値あるもの」として認められる世の中にしたい、その気持ちが子ども向けコンテンツを事業とした会社の創業に繋がりました。


「株式会社」を選んだ理由
──活動をする手段として、会社という形を選んだのはなぜだったのでしょうか?
最初はNPOの形態も選択肢として検討していました。でも、ちょうどその頃「社会起業家(※2)」という考え方に出会い、社会を動かしながら社会を変えていくというスタイルにとても共感しました。
当時出会った社会起業家のひとりが、田辺大(たなべ・ゆたか)さんです。大学の笠尾先生経由で田辺さんの講演を聞いたのがきっかけでした。自分たちの活動を「ちゃんと続けていく」ためには、ビジネスとして成立させる必要があると思いました。
意外と、会社って20万円くらいで作れてしまうんですよ。勢いで作ったから、あまり細かいことは調べてなかったんですけどね(笑)。作ってからが大変で、初めてみる書類や、契約の仕方なども分からない事だらけ。収入も全然安定しませんでしたが、ひとりじゃなかったから、なんとかやってこられたんだと思います。
(※2)社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)……社会的な課題をビジネスを通して解決に取り組む起業家を指す。利益追求だけでなく、社会貢献を目的とした事業を展開し、持続可能な社会の実現を目指す取り組みを行う。
「子ども向けイベント」の会社ができるまで
── 今のような事業形態になるまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
創業当時は地域の商店街などで「オバケーション」のワークショップをひたすら実施していました。他にも印象深い仕事として2007年に実施した「シャッフルどうぶつ」のことをよく覚えています。
きっかけは、横浜市の動物園「ズーラシア」で開催される「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」にて、子どもたちが楽しめるワークショップを企画してほしいという東京工芸大学からの依頼でした。


様々な動物のパーツを組み替えて、オリジナルの生き物の塗り絵が作れるワークショップを開催したのですが、その反応がとても良くて。「これは仕事になるかもしれない」と実感しました。オバケーション以外で初めて得た、手応えのある成功体験でしたね。
当時は「子ども向けイベント」の専門企業がなかった
2007年の創業当時、「子ども向けのイベント」を専門に行う会社は、ほとんどありませんでした。お菓子のつかみ取り、ヨーヨー釣り、ヒーローショーといった定番イベントはありましたが、子どもたちが自分の手で何かを作るような、クリエイティブなワークショップは、個人作家が小規模に開催している程度でした。
だからこそ、企業として「子どもの創造性を引き出すコンテンツを提供する」という取り組みは、すごく意味があると思いました。
その後も「グラスガーデン」や「はこオニ」など、親子向けイベントで使える新しいワークショップコンテンツを次々と開発しました。こちらは現在も販売しているコンテンツです。


当時のイベントは、いただける金額に対して材料や人権費の方が大きくて、行う事で赤字になるイベントも少なくありませんでした。そんな状況にも関わらず、大学や前職の友人たちが何人もボランティアとして応援してくれて、昔の社員旅行の写真を見返すと役員3人の会社だったのですが、10人以上もいて「こんなに手伝ってくれてたんだな」と改めて感謝しています。「そういうことをやってるなら手伝ってあげるよ」と言ってくれる人たちに支えられて、ここまで来ることができました。

収入が厳しくても、やめようと思ったことは一度もなかったです。「いけるところまでやってみよう」という気持ちで続けてきましたし、言い続けていると、少しずつ形になって、実現させてもらえるようになっていきました。
自主開催イベントから「誰でも実施できる仕組み」へ
「シャッフルどうぶつ」はその後、デジタルデバイスを使ってオリジナル塗り絵を作る「シャッフルぬりえ」へとアップデートされました。
2009年に福井で「シャッフルぬりえ」を開催したときのことは、今でも強く印象に残っています。遠方でのイベントだったので、節約のため車に機材を全部積んで役員3人で10時間運転して赴きました。


大変な中でしたが、イベントでは参加者の親子だけでなくクライアントさんにものすごく喜んでもらえました。昔から応援してくださっている方からは「ピコトンの理念に共感している」と言っていただけて、「自分たちのやっていることは間違っていない」と思えた瞬間でした。
創業から5年間ほどは、そのように全てのイベントに自分たちが赴いて運営をしていましたが、徐々に依頼も増えてきて展開の難しさを感じました。そこで、誰でも再現できるように「運営マニュアル」や「レンタル道具セット」という仕組みをつくり、現在のように「全国どこでも・誰でも」工作イベントが開催できるサービスへと変動していきました。
◆詳細はこちら→初めての方へ|株式会社ピコトン
苦い失敗が教えてくれた「準備と広報の大切さ」
──特に大変だった思い出はありますか?
2011年、創業から4年目のことです。ある有名施設から声がかかり、約1ヶ月半にわたる長期イベントを運営する事になったのですが……ほとんど人が来なかったんです。
中には、1人も来場者がいない日もありました。毎日スタッフが4人も現場に入っていたのに、売上はまったく上がらず、大赤字。精神的にもかなりしんどかったですね。今振り返ると、事前の調査や広報の準備が足りていなかったと痛感します。苦い経験となりましたが、今となってはとても勉強になった出来事だと感じます。
「コンテンツは課題解決になる」ことに気づいた転機
──逆に、楽しかった・ステップアップになった経験はなんですか?
2011年に、トータルメディア開発研究所さんにプレゼンする機会があり、興味を持っていただいたことがきっかけで、千葉市科学館で「プラスサイエンス」という館内回遊型コンテンツを開発・運営する機会をいただきました。
こちらのイベントでは、科学館の3フロアを回遊してもらうという要望に応え、展示物からアイテムを集めてミッションに挑戦するデジタルコンテンツを企画・開発し、最新デバイスを活用しつつ館内スタッフでも簡単に運用できる仕組みを整えました。
3種類のミッションが切り替え可能で、集めたアイテムによってコンボや結果が変化し、数百通りの展開が生まれる仕組みが好評で、リピーターとして何度も来館する家族もたくさんいて驚きましたね。

「千葉市科学館の複数のフロアを回遊させたい」という課題に対して、子どもの創造性を活かしたコンテンツで応えることができ、この時に「コンテンツは課題解決の手段になる」と気づきました。
この時の気づきや体験は、“子ども向けコンテンツを通して課題解決をする”という現在のピコトンのミッションに繋がっています。
いただいた「えげつない集客力」という評価
2019年に東芝未来科学館でゴールデンウィークに開催した5周年記念イベントも印象深く、全7日間のイベントには累計1万人以上の方に来場いただき、ピコトンの活動の中でも過去最大のイベントとなりました。
東芝未来科学館さんでは、長年色々とイベントを担当していたこともあり、開館5周年イベントという重要なイベントも任せていただきました。
「科学工作」をテーマに全5種類の工作イベントを用意したのですが、想定をはるかに超える来場があり、開場前に数百人の行列が出来てしまい慌てましたが、イベント現場で鍛えられた運営力でトラブルらしいトラブルも無く、「えげつない集客力」という評価をいただいた思い出深いイベントです。

2時間も並んで参加してくれる子どももいたほどの盛況ぶりで、大勢の方に参加してもらっただけでなく、「並んでもやりたい!」「めっちゃ楽しかった!」と子どもたちから直接お礼を伝えてもらったりして、本当に嬉しい体験でしたね。
「ここなら面白いものを作ってくれる」と信じくれる方に恵まれた
日本折紙協会から「折り紙の日に合わせてお祭りを開きたい」とご相談をいただき、ゼロから企画を提案した「キッズおりがみフェスタ」も印象に残っています。

紙飛行機を宇宙の的に向かって飛ばす「飛べ!おりがみヒコーキ」や、スクリーン上で折り紙が動きだす「うごく!おりがみ水族館」など、計4つの折り紙コンテンツを実施しました。
2019年の会場となった東京ソラマチには、3日間で6,000名以上の方に来場いただきました。有料イベントにも関わらず、開始前から長蛇の列ができ、施設のご担当者が「ここまでの集客は初めて」と驚くほどの大成功となりました。

「ここだったら面白いものを作ってくれるはず」と信じて声をかけてくれる方が、世の中にはたくさんいました。そういう方々と出会えたのは本当に運がよかったと思っています。
「子どもにいい体験をさせたい」と思う大人は、実は多い

活動を続ける中で気づいたのは、「子どもたちにもっと良い体験をさせたい」と思っている人が、世の中には思った以上に多いということです。
けれど、日々の業務に追われて「やりたくてもできない」人たちもたくさんいます。そうした方々がピコトンに任せてくれることで、いつものイベントが少し変わっていく様子も見えてきました。
世の中には「集客が一番の目的で、子どもに良い影響を与えることは期待されていない」イベントも多くあります。でもピコトンは、“利益と理念”のどちらかを捨てるのではなく、両立させることを目指してきました。売上がなければ継続できない。でも子どもの創造性を伸ばすという理念は捨てたくない。ここをどのように成立させるかは、今でも常に真剣に取り組んでいる部分です。

親たちの意識の変化と、社会へのまなざし
──昔と今で、社会の変化を感じることはありますか?
ここ6〜7年で、特に親御さんの意識が大きく変わったと感じています。「これを体験させて本当に意味があるのか?」と、子どもの成長に本気で向き合う保護者が増えてきましたと感じます。
AIの普及もあり、今の時代は“記憶力”や“学力”だけでなく、“自分で考えて行動する力”が求められています。将来の予想が難しくなったぶん子育ても大変ですが、親たちはちゃんとそこを見ようとしている。

一方で、公共の場でのふるまいや親子の関わり方に悩んでいる人も多いです。イベント中に子どもが作品に集中しているのに、後ろに並ぶ人を気にして親が「早くしなさい!」と強く声をかけてしまうこともある。
そんなときこそ、私たちのような第三者が「その作品すごいね」「よくがんばったね」と声をかけることで、親子間のコミュニケーションが良好になる瞬間もよく目にしてきました。

私たちが提供するイベントに参加した親子には、それぞれ何かしらの「体験」を持ち帰ってほしいと考えています。その想いを実現するために、単なる工作キットの販売にとどまらず、全国どこで開催しても“イベント”として成り立つような、工夫と仕組みづくりを続けてきました。
自身の子どもを通して考える社会の未来
──ご自身にお子さんが生まれて、変化はありましたか?
自分の子どもが生まれてからは、「この子が大人になる頃、世の中は大丈夫か?」という問いを、リアルに考えるようになりました。
例えば、防災をテーマにしたキッズイベント開発の時、「自分の娘は震災が起きたら大丈夫だろうか?」とリアリティを持って想像できるようになり、開発にもより一層力が入りました。

今後も、社会にとって必要なテーマを、子どもと親が楽しく学べる体験に落とし込んでいく。それがピコトンの役割だと思っています。

ワークショップは“手段のひとつ”。常に子どもたちの「今」に最適なかたちを
——未来のピコトンは、たとえば5年後には、どんなことをしていると思いますか?
もしかしたら、今とは全然違う内容の活動をしているかもしれません。ピコトンにとって、ワークショップはあくまで「手段のひとつ」なんです。もし子どもたちにとってメタバースが当たり前になっていたら、そこで活動するかもしれない。常に「今の子どもたちにアプローチするには、何が最適か」を考えて、その時代の子どもたちの環境に合わせて活動していくと思います。

現在はリアルな工作イベントが多いですが、アナログからデジタルまで、なんでもやってきたという自負があり、過去には140万DLを記録した知育アプリや、iPad発売直後にイベントに使ったり、AR技術やHTML5のブラウザゲーム等、実はデジタル関連の開発も数多く経験しています。
クライアントが抱える課題に対して、媒体や素材にとらわれず、最適な解決策を提案できることが、ピコトンの大きな強みだと考えています。最近の事例では、大王製紙株式会社さまより「子どもたちのふれあい」をテーマにしたコンテンツ開発のご依頼をいただき、打ち合わせを重ねる中でスゴロクという形式にたどり着き、「ふれあいスゴロク」というコンテンツが誕生しました。

——開発や制作もすべて社内で完結しているんですか?
いえ。技術的なことは専門家と組めばいいと思っているんです。全部自分たちでやろうという意識はありません。その代わり、ピコトンの中で特に強みだと思っているのは「運営効率まで考えた企画ができて、ビジュアルデザインもできること」そして「子どもにどうやったら伝わるか?」を知っている事です。
このテーマにはこの表現、というように、内容に合わせた複数のアプローチを提案する事ができる。それはこれまでの経験や積み重ねの中で磨かれてきた力です。

「会社が消えても残るコンテンツ」をつくりたい
——では、もっと先の未来には、どんなことを実現したいですか?
正直なところ100年続く会社を何が何でも作りたい!とかはありません。それよりも「会社がなくなったあとにも社会に残るコンテンツ」をひとつでも多く生み出したいという目標を持っています。
実話なのですが、2003年頃に「オバケーション」を体験した小学生が、その体験を強く覚えていて東京工芸大学に進学したんです。子どもに対するアプローチって、それくらい大きな影響があるんです。鉄腕アトムやガンダムを見てロボット技術者を目指すように、良いコンテンツは人の人生にまで影響を与えられると感じます。

ピコトンは、そういう「広がっていくコンテンツ」をつくれる立場にいます。生み出したコンテンツが影響を与える力が、70歳、80歳になっても続くかもしれない。それは夢のあることと同時に、大きな責任が伴います。
だからこそ、永く残って欲しいと思える良質なコンテンツを1つでも多く生み出したいと、本気で思っています。
子どもたちへのメッセージ
——最後に、これから10年後、15年後の子どもたちに伝えたいことはありますか?
「好きなことをやって生きてほしい」ですね。
「やりたいことがない」って、すごくしんどいことだと思うんです。でもそれは、やりたいことに気づくきっかけがなかったり、自信がなかったりするせいじゃないかと思います。だから仕事じゃなくてもいい、自分が何を好きか考えられる環境を用意してあげたいですね。
子どもたちには、何かを「与える」というより、「潰さない」というのが大切だと思っています。可能性の芽をつぶさないように、子どもたちが自分の好きなことに気づけるように、好きにチャレンジした時に大人に応援される。そんな環境をこれからもつくっていきたいと思います。

ピコトンでは子供たちの未来をつくるイベント企画を提供します

内木さん、ありがとうございました。
ピコトンは2007年の創業から今年で19期目になります。
これからもたくさんの子供たちの挑戦を応援し、未来を育むイベント企画を提供していきます。
子供向けイベントのご相談は、「お問合せフォーム」よりお気軽にご連絡ください◎
